社会への旅立ち

シューカツ(就職活動)真っ最中の若者たちと話をする。大手企業では、そろそろ内定が出る時期だ。
私が大学を卒業したのは、バブル崩壊の年であった。しかし、就職はまだ引く手あまたで、国立地方大あたりでも一流企業から早々と内定を貰う人も珍しくなかった。そんななか私は進路で悩んでいて、8月過ぎても資料を請求したのは1社のみだった。今の若者には信じられないかもしれないが、9月頃、NT○某支社から、我が社に来ませんかと電話があった。そのぐらい、新卒の就職は恵まれた時期であった。
ところが、翌年から新卒の就職はどんどん悪くなった。厳しい就職競争がつづくなかで、何に関心があり、どんな仕事がしたいのか、何ができるのか。将来に対する明確なヴィジョンはあるか、今までどんな経験を積んだのか。自己分析し、自らの言葉で語れるかどうかが重要になった。がんばります!という意欲だけでは内定はとれなくなり、就職活動は自分探しの旅とまで言われるようになった。
今年は就職活動に明るい兆しが見えたとはいえ、まだ厳しいのが現状だ。内定がではじめるこの時期は、シューカツ中の若者の間でもビミョーな空気がただよう。
厳しい競争を勝ち抜き、この時期に内定を受けた者は、学業優秀で、計画性があり、将来に対する考え方もしっかりしている。うれしいのは分かるが、自信過剰になり、浮き足立つ。某大手企業の内定を受けた○○君は、「将来、年収1千万は堅いでしょう」などと、平気で言う。若いのに、考えが古い。大手企業に入れば、将来は安泰という時代はとっくに過ぎ去った。企業内での競争は、シューカツ以上に厳しい。大手企業でも、年収1千万円を得るには、たぶん、30代には管理職ポストに就かなければならない。しかし、定期昇給が崩れ、成果主義が殆どの企業に取入れられるなか、ひと昔のように、みんな管理職ポストに就けるわけではない。入社前の準備から出世競争がはじまる。新人研修では既に能力が評価され、出来る人、出来ない人に振り分けられる。彼にクギをさしたが、ニコニコして「ボクはできる方です」。世間知らずの私でさえ、甘いなぁ…と思ってしまう。
内定が決まりはじめると、一方で、内定がもらえない若者は焦りはじめ、あきらめる者もあらわれはじめる。
マスコミ希望の××君、音楽業界希望の△△君。いわゆる”ギョーカイ”は、狭き門だ。私も詳しくはないが、時代の先端を行く、クリエイティブな仕事だから、時代への敏感さ、機転、ユーモア、人の興味を惹くような話題、趣味、こだわりなどがあるかどうか。そんなあたりを評価するのかなぁと、そのぐらいは想像する。しかし、彼らは、面白そうだから、好きだから…というぐらいの気持ちだけでシューカツする。マスコミはどんな人材を求めると思う?、何でもいいから、私をへぇーと言わせるような音楽の話ができる?。と聞いても、うーん…と黙り込んでしまう。自分にギョーカイ人を惹きつける魅力があるのか、入社試験や面接では何がポイントになるかまでは、考えていなかった様子だ。この業界の企業の採用はだいたい終わっているらしい。彼らは就職浪人して、来年またトライするとまで言っているが…。最初の就職は人生設計に相当影響するから、あきらめないで頑張ってほしいという気持ちが3割。しかし、短期間でギョーカイが求める資質を形成するのも難しそうなので、ギョーカイにこだわりすぎて、若い頃の貴重な時間を無駄にしてほしくない、という気持ちが7割。
そういう私も、若い頃は考えが甘くて見えなかったけれど、年を経てから見えてきたことがある。「社会は入り口が大事」。人生やり直しがきかないとは言わない。しかし、社会の入り口は、後々にかなり重みを持ってくるのも事実だ。年長者として、できるかぎりの助言はしてみるが、あまり役立っていないみたい…。

フォローする