詩人・文学者 木島始氏のこと。

木島始さんが2004年にお亡くなりになっていたことを、つい最近知った。なんだか青春時代に読んだ詩人が、またひとり、いなくなるのは、とても悲しい。
 木島さんに、一度、お目にかかったことがある。もう、10年も前のことで、ある美術館主催の詩のコンクールの授賞式だった。私が唯一いただいたことがある賞だ。私のつたない詩を、ここが印象的だねとおっしゃってくださった。
 私は、そのころ、木島さんに関しては、「詩のレッスン」というアンソロジーに載っていた1編の詩「とほうもない望み」と、寺山修司「戦後詩」に紹介されていたラングストン・ヒューズという黒人詩人の訳詩しか知らなかったが、そられがとても印象に残っていた。当日、木島さんが出席されることは知らなかったので、おどろいた。にこやかに話をする方で、はじめてなのに親近感をおぼえた。
 それをきっかけに、木島始さんの詩集や、評論をたくさん読んだ。なかでも、木島始訳「ラングストン・ヒューズ詩集」は、私が持っている詩集のなかでも大好きな詩集だ。木島さんは、黒人文学や、ジャズ、ブルースの評論も数多く書いており、差別や人種問題、それに根ざした芸術に造詣が深い。だからこそヒューズの、あの心の叫びをまざまざと表現するような訳ができるだろう。他の訳者のヒューズ詩集も読んだけど、そこまでは感動しなかった。
木島訳に感動して、ヒューズをどうしても英語で読みたくなり、洋書屋に足を運んでも見つからず、古本屋でも探し見つからず、ついに、アメリカのアマゾンで、苦手な英語と格闘しながら(考えてみると、当時、日本のサイトでは洋書は買えなかったのかな…英語のサイトで買った記憶がある)、原書の「ヒューズ詩集」を買い求めた。そして、英語で読んで、黒人が使う言葉なのか、短縮した英単語、発音、リズムなど、ただ言葉を訳すだけでは伝わらない、生き生きとした情感までも日本語に表現しようとしていることが、とてもよく分かった。好きな詩人はいっぱいいるけど、腰の重い私を、ここまで行動させた詩人は、ほかにいないかもしれない。私は、ジャズやブルースについては詳しくないけど、耳にすると、木島さんの書いていた評論とかを思い出すことがある。
今日は「ラングストン・ヒューズ詩集」を読もう。

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