ゲンジモノガタリが好きなアメリカ人の話

もう4,5年前のことなんだけど、忘れられないアメリカ人の話。

K王線で新宿に向かう途中。通勤ラッシュがちょうど終わった時間帯。座席がほぼ埋まって、立っている人がチラホラというのんびりした混み具合。吊革につかまってぼーっとしていると、お腹がどーんと出たアメリカ人男性が話しかけてきた。たどたどしい日本語で。年は40才ぐらい。日本語と英語と、大ボデーランゲウッエッジ大会の結果、奥さんが日本人で、奥さんの里帰りで日本に来ていること、一人で電車に乗るのは慣れていないこと、これから会社の日本支社に挨拶にいくこと、新宿の乗り換えが分からないので案内して欲しいこと、などが分かってきた。

オッケーオッケーなんて気安く引き受けると、彼は覚えた日本語で日本人と話したがっている様子で、自分の趣味をいろいろと話し始めた。
日本文学が大好きだというので、どんな作品が好きかと聞くと、すかさず「ゲンジモノガタリ!」という答えががえってくる。えーいきなりそこくるか?!。予想だにしなかった答えに、「源氏物語」のどこに魅力があるのか気になってしまって、なんで好きなの?と質問すると、急にうっとりした目つきになって

「ロマ~ンス」 ヽ(´・`)ノ   ←本当にこんな感じの身振りで

日本人にとって「源氏物語」は古典文学だけど(現代語訳されていようが、マンガになっていようが)、そういう固定概念のない外国の人が英語に訳されてしまったのを読めば、たしかにロマンス小説以外のなにものでもないのかも。

そして、彼はポケットからアイフォンを取り出して、家族写真を見せてくれた。日本人の奥さん、10才ぐらいと、6,7才くらいの男の子が二人。
そして息子たちを指さし、「こっちがゲンジ、こっちがヒカル」。ヾ(–;…
私の感覚からすると、光源氏ってやっぱり女ったらしの浮気ものなので、子供に光源氏から名前をつけるというのは、ど、どうなの?と思ってしまうけど。奥さん反対しなかったのかしら?とか、将来、息子たちは名前のことで父親を恨まないかしら?とか、つい余計なお世話的心配までしてしまったよ。

映画の話もしたのだが、いまひとつ盛り上がらなかった。アメリカで有名な監督をあげたら話が盛り上がるかなと、「リドリー・スコットの映画が好きだ」と言ったら、彼は「それは頭がいい人が見る映画だ」と、ひどくつまらなそうな顔をしたのだった。リドリー・スコットといえば、「エイリアン」、「ブレード・ランナー」だよ。これは「頭がいい人」が見るという扱いの映画なの?。私の知り合いは、リドリー・スコットは「バカだけど良い映画を作る」(あまり小難しいことを考えずに、面白い映画を作るという意味)と語り、私も上手いこと言うなぁと思っていたのだが…。

「源氏物語」は日本人には古典文学で、アメリカ人にはロマンス文学。リドリースコットは日本人には娯楽映画監督で、アメリカ人には「頭がいい人」が見る映画。20分ほど話したただけでも、国が違うと、ずいぶんと感覚がちがうもんだなぁと気づかされたのであった。

新宿駅に到着し、山手線のホームで彼を見送って、はっと気がつく。
品川は反対回りだったぁー!。
乗っていればいつかは着くと思うが…。彼は無事、会社にたどり着いただろうか。思い出すと、今でも気になってしまう。

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