12月の映画鑑賞メモ

あけましておめでとうございます <(_ _)>

今年もグダグダの更新と文章のBlogになると思いますが(汗)、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。抱負は、Cinema Diary、現在、更新が遅れに遅れ、2年前に見た映画の感想を書いておりますが、手抜きしてでも(爆)、なるべく現在に追いつくようがんばって更新しすることです。

それまで忘れないよう、先月に見た映画の簡単なメモ。↓

10日 ミヒャエル・ハネケ『ファニー・ゲーム』(1994年)&(2004年USAバージョン=監督本人によるリメイク版)、DVD
暴力の本質云々…っていうより、人を徹底して不快にさせ、絶望させる、これがハネケ監督の目的のような気がする。カンヌ映画祭で上映された時、途中で席を立つ人が続出したと言われているが、ハネケはその様子を見て喜んだんじゃないか?とさえ思う。
一家が危機的状況においこまれるなかで、この人はきっと逃げられるかも、何気に置いたこのナイフがあとで大活躍するかも…と、見る者に小さな希望を与えておいて、それを一つ残らずしらみつぶしにしていく。これだけでもげんなりだが、極めつけは最後のセリフ。本作以上に、凄まじい暴力を扱った映画はいくらでもある。しかし、私たちは、映画の暴力は映画ののなかのできごとで現実じゃない、自分には関係ないと、どこかで思っている。ハネケはそれを見越したように、傍観者である観客に、ご丁寧にも、最後の最後に、映画は虚構じゃない、現実以上に現実であるというセリフ(正確には覚えていないが)を用意する。つまり、これを映画的な絶望だと思うなよ、救いがないのが現実だと釘を刺す…orz。人には薦めないけど、だからといって見るに値しないとは思わない。
アメリカリメイク版は、カット割りもセリフも同じ。役者が違うだけ。役者が違うことで、印象がすこし変わるところはあるけれど、それでも、リメイクした意味がよく分からない。

11日 リー・ダニエルズ『プレシャス』(2009年、アメリカ)、wowow録画。
真面目な映画。1987年ハーレム。両親から虐待を受けた少女プレシャスが、フリースクールの先生や友人によって自分の道を見つけていく物語。監督の経歴を見ると、元はキャスティング・ディレクターだったらしいが、役者選びでこの映画の成功が決まったようなもの。日本人の私には、プレシャス役の新人ガボレイ・シティベの演技が巧いかどうかはちょっと評価しにくいが、自分を蔑んでいるような、すべて諦めてしまったような雰囲気、耐えて耐えて無表情になってしまったような顔つき、ゆうに100キロ超えの体格…彼女がスクリーンに映っているだけで、アメリカ社会の病んだ部分を感じさせる。そして母親役のモニーク。本業はコメディアンらしいが、次から次へと出てくる罵り、嘘八百は怖ろしい迫力。
87年といえばレーガン政権。レーガノミックスによって市場と競争原則が徹底され、福祉予算は大幅に削られ、貧富の格差は拡大した。そして、経済学者や知識人が、貧しさは努力しない結果だ、自己責任だと平気で言うようになり、残念だけど、今でも世界的にその流れはつづいている。 そういう流れに対する批判でもあるんだろうと思う。プレシャスの文盲や貧しさが、努力しないからだ、自己責任だというヤツは、学者だろうが何だろうが、想像力の欠片もない馬鹿だね。

15日 イエジー・スコリモフスキ『エッセンシャル・キリング』(2010年)、下高井戸シネマ
ツイッターでもう毎日のようにスゲー映画という情報が入っていたので、気になって気になって、見にいった。実験的映画。セリフなし。1時間30分テロリストらしき男がアメリカ兵から逃げる続けるだけ。彼はなぜ、どうしてここにいるのか?。まったく説明なし。しかし、見ているうちにそんな疑問はどうでもよくなって、ただ生きたいというギラギラとした本能に惹きつけらていく。 ラストシーンはかなり好き。

30日 ルシール・アザリロヴィック『エコール』(2004年)、DVD
森の奥深くにある学校。6才から12才までの少女たちがダンスと生物だけを習っている…。この少女達がなぜここにいるのか、卒業後どこへいくのか、いっさい説明無し。この学校の目的はうすうすと想像できるけど、だとしたら、この少女達の将来が本当に恐くなる。
なんかねー、先月見た『ハート・ロッカー』といい、↑『エッセンシャル・キリング』といい、『エコール』といい、背景や状況はヒントをちょびっと与えるだけで説明せず、対象をものすごくミクロに絞り込んで、そこだけは詳細にに描いていくという映画が増えている。顕微鏡で見たものを精密に描いていくような。これって、最近の流行なの?。

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