8月の映画鑑賞メモ

塚本晋也『野火』,2015年,日本,ユーロスペース

『永遠のゼロ』みたいな戦争映画がヒットする日本で、戦争=地獄ということを真面目に描く監督がいることに救いを感じた。塚本監督は資金難のためこの映画撮影までに20年も費やし、ついに自主制作で撮影したそうだ。そんな難しい状況でよく撮ってくれた!と言いたい。こういう視点の戦争映画は日本にしか撮れない。この地獄は日本人しか経験してないから。
周知のように原作は大岡昇平。敗戦が決定的になったレイテ島が舞台。「猿」は食べないという主人公に残された一筋の理性が、あまりにも凄惨な戦場と飢餓、生きたいという本能を前に揺らいでいく。
背景にふれておくと、Wikipediaによればレイテ島に投入された兵力は84,006人、戦死者は79,261人、約94%が戦死。戦死者のうち60%が餓死だと言われている。レイテ島の戦いがはじまる44年10月には、日本は既に大量に船舶を喪失しており、制空権・制海権も失っていたから、戦地への兵器や食糧の補給ができなくなっていた。敵に囲まれたジャングルに兵士だけ置き去り、武器と食糧の補給はなし。こんな後先考えない作戦は、自国兵士の虐殺だろ…と思う。
戦争体験者に「あなたは飢餓を理解できても、飢餓を知らない」と言われたことがある。その時は確かにそうだと思ったけど、この映画を見終わった時、その言葉がとてもない重さを持って心のなかにドスンと落ちてきた。人間が人間でなくなる、人間を人間と思わなくなる、人間として壊れるんじゃなくて、人間じゃないものへ壊れていく様子を、唯一、かすかに理性を保っている主人公の田村の目を通して延々と見せつけられる。それは、スクリーンの外で見ている者までもが、理性を保つことが危うくなって、もう「食べていいから」と思わせるほどの凄まじい描写だ。今まで見てきた日本の戦争映画が大嘘に見えてくる。
この映画で評価が分かれるとすれば、映像表現だろう。本作はPG12だが、戦場の描写が残酷ということでR15になった『プライベート・ライアン』を凌ぐ。残酷にすればいいってものではないけど、原作を読んでみて納得した。

「いたる所に屍体があった。生々しい血と臓腑が、雨あがりの陽光を受けて光った。ちぎれた腕や足が、人形の部分のように、草の中にころがっていた」。

こういう結果をもたらした、銃撃シーンを作るとしたら、ああなる。必然だ。むしろ、文章より映像の方が控えめだと思うシーンもあるぐらい。大岡昇平は実際にフィリピンでこういう光景を目の当たりにしたのだろう。塚本監督が映像表現について「戦争での行為自体がやりすぎ」で、「むしろここまでやらなければいけない」と言ってるのにも一理ある。

映画鑑賞後、大岡昇平『野火』を一気に読んだ。こんなに夢中になった本は久しぶりだった。つづけて『レイテ戦記』も買ってしまったよ…。

『野火』とは関係ない話。
現在、マーティン・スコセッシが、遠藤周作『沈黙』を撮影中。私が若い頃に熱心に読んだ作家なので、関心を持って記事を探していたら…塚本晋也監督がモキチ役で出演!だそうで、びっくり。『最後の誘惑』を撮った監督は、どんな『沈黙』を撮るのだろう。

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