7月の映画鑑賞メモ

リチャード・リンクレイター『6才のボクが、大人になるまで』,2014年,アメリカ,目黒シネマ

6才の少年が18才になるまでの物語を、12年間かけで撮影した映画。主人公メイソン、姉、父、母も、同じ役者が12年間演じている。「ピュッとはじいた水がハチになるんだよ」なんて可愛らしい空想をしていた少年が、ラストではひげも生えて、声も太くなって、「お母さん、どうしたの?」なんて大人びたセリフを言う青年に成長しているし、母親役のパトリシア・アークエットも、美少女女優だった頃の面影がある美人ママだったけど、シーンが進むたびに心も体もたくましく、皺も増えて、肝っ玉かあちゃんになっていくし、父親役のイーサン・ホークも、冒頭はまだイケメン俳優と言われていた頃で、ちゃらんぽらんなパパとして登場するけど、いつの間にか、酸いも甘いも知った渋いオッサンになっている…12年間という時間の重さがずっしりと伝わってくる映画
がっつりとしたストーリーやドラマチックな展開があるわけではない。アメリカの少年ならだれもが経験するだろうこと、親が離婚したり再婚したり、父ちゃんと男同士のキャンプしたり、思春期には背伸びしてお酒飲んじゃったり、勢い余って大麻やっちゃったり、ハイスクールで恋したり失恋したり、挫折したり、自分の将来に真剣に悩んだり…。親も親で、結婚に失敗したり、人生やり直そうともがいてみたり。良いこともあれば、思い通りにいかない事もあり、そんな日常の一コマが積み重なっていくだけだが、最後に振り返ってみると、少年も姉も、両親も、12年前よりいろんな意味で成長していて、まったく別の場所にいる。あ。人生ってこういうことなんだな、って思った。何かが突然変異するなんてことはない。これまでの一秒一秒の堆積が、今、自分がいる場所。これからの一秒一秒の堆積が、将来の自分の場所。監督は、リアルな時間の経過と家族の変化を通して、時間そのものを描いている。
こんな映画はもう出てこないと思うので(というか作れない)、歴史に残る作品になると思う。映画の最後の方は、あんな小さかった子がこんなに立派になって…と親戚のおばちゃん目線になっていた私(笑)。

トラヴィス・ファイン『チョコレートドーナッツ』,2014年,アメリカ,wowow録画

実話が元ネタ。1970年代末、ゲイカップルのポールとルディは、育児放棄された障害児マルコと出会う。マルコにとって何が幸せなのはだれが見ても明らかなのに、鬼母親の親権と法律が、そして彼らへの偏見が、マルコを不幸な場所へと放り出す。マイノリティである3人の絆をあたたかく描きつつも、児童虐待と保護の難しさ、法律の残酷さ、同性愛や障害に対する偏見・差別といった40年経ってもまだ繰り返されている問題を訴える社会派映画でもある。マルコがハッピーエンドおとぎ話が好きだったのは、現実がハッピーじゃなかったから。なぜ多くの人の良心が願うように、社会は動かないのだろう。
ルディが最後に歌うボブ・ディランの「any day now」。映画の原題にもなっており、歌詞が映画の内容とも重なり合う。ルディの力強い歌声とディランの歌詞は、社会から不条理に追い払われて苦しんでいる人たちが、いつか、自由になれることを本当に願いたくなるし、そのために自分は何ができるのかと考えさせられる。
ルディ役のアラン・カミングはトニー賞を取るほどの実力派俳優で、私生活ではバイセクシャルをカミングアウトし、同性婚もしている。まさに適役で、演技も歌も素晴らしく、惹きつけられる。

J・A・バヨナ『永遠のこどもたち』,2007年,スペイン・メキシコ,wowow録画。

ゴシックホラー。映像は美しい、展開が論理的、細かいたくさんの伏線はどれも無駄なく効果的に使われている、もう一つのテーマである母の罪と 深い愛情もキレイにまとまっている。優等生映画になってしまったゆえに、ホラーとしての斬新さや衝撃がイマイチ。ホラー的演出やカットバックの種明かしもありきたり。
霊媒師役でジュラルディン・チャップリンが出てきたのが、ホラー以上にびっくり(笑)。かわいいおばあちゃんになってた

クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』,2014年,アメリカ,DVD

悪くないけど、既に『ハートロッカー』があることがこの映画の不幸かも。”戦争が人間の心を蝕む”というテーマにおいては、「戦争は麻薬」とまで言ってしまう『ハートロッカー』の方が痛烈。主人公の壊れ方も、戦場も、今までの自分の理解をはるかに超えた別次元の深刻さ、過酷さがあることに衝撃を受けた。戦場の緊迫感、リアリティも『ハート・ロッカー』の方が上。
しかし。本作には『ハートロッカー』にはまったくなかった視点がある。それは「正義」。イーストウッドは、つねにものごとを両面から捉え、「絶対的な正義」はあるのか?、正義とは誰かにとっては悪である、という映画を撮りつづけた監督。この文脈で考えると、自信はないが、(アメリカが絶対に正しくてイスラムは悪い国ぐらいの中味しかないように見える)「正義」の旗印の下に戦争も人殺しも正当化する、「正義」という病巣が巣食っているアメリカ社会を描きたかったのか?とも思う。
アメリカン・スナイパーの主人公は、開拓時代のカウボーイか?っつうぐらい保守的で、ちょっと病的なまでの「正義」感や「愛国心」を持っていて、「大義なき戦争」と言われたイラク戦争に4度も従軍して160人も殺し、「人を殺した理由を神の前で説明できる」とまで言いきる。兵士の時も、兵士じゃなくなっても、「正義」以外の価値がまるで見えていない。そしてラストシーン、こういう「正義正義」した英雄を欲しがっているアメリカ国民にも違和感を覚える。
最初に「自信はないが」と言ったのは、今までのイーストウッド作品を考慮するとそういう解釈も成り立つかも?という、かなり深読みな見方だから。たぶん、イーストウッドをまったく知らない人が見たら、アメリカバンザイ映画だと捉えてもおかしくないと思う。そのぐらい「正義」「愛国心」がよく出てくる割には、それをどう描きたかったかのにはブレがある。本作に限らず、クリント・イーストウッドは映画作りがだんだんになってる感じがする。細かいところでも、赤ちゃんがゴム人形感丸出しだったりとか、人が撃たれるシーンが戦闘ゲームのような画作りだったりとか、らしくないなぁ…と思っちゃったよ。

武正晴『百円の恋』,2014年,日本,シネマクラブ映画会

安藤サクラの女優魂を観る映画。のっけからジャージにでんと乗っかった贅肉、パジャマにだらしなく透ける黒いパンツをさらす…これだけで、この女優、タダ者じゃねぇなと思った。彼女の体型変化は、『レイジング・ブル』のデ・ニーロに匹敵するよ。
それにしても、堕落生活から這い上がるツールとして、なぜボクシングはこんなにもしっくりくるのだろう。ストイックじゃないとできないスポーツだからか。ブスだった一子が、ボクシングが上達し、脂肪も落ちるにつれ、掃きだめから這い上がり、どんどん魅力的になっていく。たとえボロ負けしても「勝ちたかった」と泣きじゃくりながら悔しさを吐き出す彼女は、勝負の舞台にさえ上がろうとしなかった昔の負け犬とは違う。リングに立てば痛い痛い痛い…、でも、ボクシングも、恋も、人生も、リングに立たなきゃ先には進まないんだよな。
どうでも良いけど、奥田瑛二にソックリの従兄弟がいるんですが…この映画をみて思った。その従兄弟のお姉さん(従姉妹)が安藤サクラにソックリだ…。

黒木和雄『美しい夏、キリシマ』,2003年,日本,wowow録画

1945年夏、宮崎県のある村。人々の心に潜んでいる戦争の悲しみを描きだす群像劇。ドンパチやるのだけが戦争映画ではない。本作には、血も空襲も戦争らしいシーンはまったくない。一見、戦争とは無関係に見える、庶民の日々の生活が淡々と描かれるだけだけが、軍需工場で親友の爆死を目の当たりにした少年、軍人と逢瀬を重ねる貧しい戦争未亡人、遠い親戚に預けられた沖縄の少女、傷痍軍人に嫁がされる娘…、少年から老人まで誰もが戦争による傷を抱えていて、それを一人で受け止め、じっと堪えている姿を浮かび上がらせていく。あぁ、こんなところにまで、戦争は密やかに深く入り込んで、だれもが無傷ではいられないんだと気づかされる。
黒木和雄は、戦時下の庶民を撮ることにこだわった。結局、戦争で犠牲になるのは庶民だと言いたかったのかもしれない。最後の雨が、渇ききった人々の心を潤しますように。祈りのような映画。

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