2月の映画鑑賞メモ

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ『21グラム』2003年,アメリカ,DVD

ひき逃げした男(ベニチオ・デル・トロ)、ひき逃げされて夫と子どもを亡くした女(ナオミ・ワッツ)、亡くなった男の心臓を移植して命拾いした男(ショーン・ペン)。1つの心臓をめぐる3人の物語。
人は罪や愛や死から自由になれず、どうにもならないことがあるから辛いし、でも人生リセットは不可能で、「Life will go on」(劇中度々出てくるセリフ)だからもっと辛い…。3人が「どうにもならないこと」を背負えるようになるまでの自暴自棄、現実逃避、葛藤が、重ーいトーンで描かれていく。
私、こういう重いテーマも、冷ややかな感じの演出や映像も嫌いじゃないけど、なんかこの世界に入り込めなかったなぁ。まず時系列をバラバラにした演出意図がよく分からない。この映画で一番じっくり描かなきゃいけない人物の心理描写が細切れになってしまって感情移入しにくく、ただのもったいぶった展開に…。死んだ時に必ず21グラム減るというところから取られた意味深なタイトルも、気を引かせておいて、ラストに無理やり繋げただけで、いったい何が21グラムなんじゃー!と肩すかし。3人の俳優の演技に繋ぎ止められた感じ
後になって『バードマン』の監督だと知る。そういえば、観終わった時の、悪くないんだけど、なんかなー。という感じが全く一緒だった(笑)。いじりすぎるカット割りとか、必要以上にやけに重々しく、意味深な感じに演出するところとか、私、この監督はあんまり好きじゃないかもなぁ…(まだ2本しか見てないし、はっきり嫌いとは言い切れない段階)。

ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』1941年,アメリカ,DVD

19世紀末イギリスウェールズ地方、衰退しつつある炭鉱町。炭鉱で生計を立てているモーガン家の末っ子ヒューの目を通して描かれる家族の物語。
素晴らしい人間群像劇。家族愛、少年の成長、娘の結婚、労働者と資本家、鉱夫としての誇りや仕事の厳しさ、ウェール人気質や炭鉱町の人々…エピソード詰め込みすぎな感じもあるけど、人物の心情の描写が細やかで、1つのエピソードが1本の映画にできるぐらい印象深い。結末だけを言うなら、一家は離散し、だれ一人幸せにはならない。しかし、家族と過ごした日々、ヒューを可愛がってくれた人々、そして彼らとの別離までもが、ヒューの人生の宝物として、キラキラとした輝きを放ちながら、慈しむように描かれていく。モノクロ映画だけど、最後には、故郷の谷が本当に美しい緑に見えてくるよ
大学に入学してすぐに、地元の汚い映画館のレイトショーで『わが谷は緑なりき』と『荒野の決闘』を、そのすぐ後に県立図書館の無料上映会で『怒りの葡萄』を見た。この3本が私の初ジョン・フォード鑑賞だった。ジョン・フォードの王道からは外れていたかもしれないけど、ジョン・フォードなんておじいちゃんの見る映画でしょ?という傲慢な洟垂れ娘をフルボッコにするパワーは十分あったよ。。。『わが谷は緑なりき』約30年振りに見たけど、あの時と同じ、ラストシーンにはちょっと涙が滲んでしまった。
(おまけ)ヒュー少年役のロディ・マクドウォールは、約30年後、『猿の惑星』コーネリアスになっていました。面影があるようなないような…。

ルイ・マル『プリティ・ベイビー』,1978年,アメリカ,DVD

1917年ニューオーリンズ。娼館で生まれ育ったバイオレット12才(ブルック・シールズ)。母は再婚して娼館を出ていき、バイオレットは娼婦デビュー。写真家の青年ベロックと出会う。
12才くらいの女の子は、無邪気さも残っていて、我が儘で、まだまだ子どもなんだけど、大人になりたがって「女」として振る舞ったり、時には母性も垣間見せたり、くるくると表情を変え魅力を振りまく。巨匠ルイ・マルが、そんな年頃の美少女ブルック・シールズを着せ替え人形して、ただただエロ可愛く撮りたかっただけの映画に見えますが…。橋本環奈が千年に1人の美少女なら、45億年に1人の美少女ブルック・シールズのいろんな魅力をフィルムに残したという以外に、この映画の価値が見いだせない(それだけで充分か?)。映画に出てきた写真家ベロックのように、ルイ・マル大先生も彼女の美しさに理性を失ってしまったのでしょう。今はもう絶対に撮れない映画。
この後、ブルックシールズはセクシーアイドル的なティーン女優になるわけだけど、この路線は失敗だったんじゃないかな。”美少女が脱ぐ”ことをを売りにした作品ばかりで、彼女自身が大人気だったからヒットはしてるけど、女優としてステップアップするような良い作品には恵まれなかった。ルイ・マルは彼女の女優人生もダメにしちゃったような気がするよ。

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