トラウマ映画と闘った話『聖職の碑』(1) 

ごぶさた。突然、思い出したように、ブログに立ち向かうshimiです、こんにちは!。

映画活動が低迷中。そんななかで久々に見たのが↑タイトルの映画よ。
きっかけは、友人から借りたマンガ、作/夢枕獏・画/谷口ジロー『神々の山嶺』

一匹狼の登山家が、前人未踏のエベレスト南西壁、冬期、無酸素単独登頂に挑む物語で、骨太のストーリー、人物描写がいきいきとして、あっという間に引き込まれてしまったわ。
でも、実はわたし、山岳ものって小説も映画も苦手ジャンル。ホラーの方がいいくらいよ。『神々の山嶺』も読めば夢中になるし、映画も『八甲田山』や『剱岳 点の記』なども見てるし、全くダメではないけど、自分からは取りに行かないです。H王子市民が大絶賛する高尾山にすら足が向かないというありさま(笑)。

山岳にのめり込めない原因は自分でも分かってるのです。それは

トラウマ映画『聖職の碑』

のせいだと。
大正2年(1913年)8月、 木曽駒ヶ岳登山遭難事故を題材とした映画で、ほぼ実話。中箕輪高等小学校が毎年行っていた修学旅行的な登山に、校長、教員2名、地元青年会員9名、児童25名が参加。念入りに計画が立てられ、気象も事前確認していたにもかかわらず、当時の観測技術では予測できなかった台風が接近し暴風雨に見舞われ、ほかにも不運な条件が重なり、校長と10名の児童が命を落とした。

この映画、中学校1年の時に学校の映画会で見せられたのです。タイミングも最悪だった。私が通った中学校には全校登山っつう恒例行事があり(今も続いているらしい)、全校生徒がF島県の吾妻連峰の山々に登るのですが、この映画を見せられたのは、なんと、全校登山の数日前!。嵐のなかで、子供たちが遭難して、バタバタと凍え死んでいくんです~ (>_<) 。学校行事でのはじめての登山、自分と同年代の子供たち、映画と自分たちの状況が重なり、鑑賞後、全校登山に行くのがすっかり憂鬱になってたわ。叶うならば、当時の先生方に、なにがどうなって全校登山前にこの映画をセレクトしたのか、問い詰めたい

これは、つい最近調べて分かったのですが、映画『聖職の碑』(1978年)は、原作:新田次郎、監督:森谷司郎、撮影:木村大作。このコンビは、前年の77年に山岳映画の金字塔『八甲田山』を完成させていたのですーーー!。『聖職の碑』は『八甲田山』のような大ヒットはしていないけど、遭難シーンは、登山未経験の中学1年生をビビらせるには十分すぎる迫力とリアリティがあったのだと思う

もちろん中学校の全校登山は何の問題もなかったし、3年間で、一切経山2回、西吾妻への登頂を果たした。
しかし、大人になってからも山岳ものに近寄ると、脳内の何かの回路が『聖職の碑』にピピッと繋がって、山岳ものはちょっと止めとくか~と思うようになり、別に登山もしなくていいし~という人生を歩んできてしまったわ。

『神々の山嶺』を読んでいる時も、ひょっこり『聖職の碑』が記憶の沼底から浮き上がってくる。気になって、Amazonで検索してみたら…あったのよDVDが。大人になった今見たら、大して怖くないかもしれない、思い立った今こそトラウマ克服の時!という、中学生並みの発想と大人の財力により速攻ポチッ。

トラウマが克服出来たかどうかは次回へ。(^_^)

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