最近、武力による独裁者支配や紛争のニュースを見るにつけ、生まれてから半世紀、飢えと戦争がなかったということに、私は運の95%くらいを使ったなと思うshimiです、こんにちは!。
今日はふっと思い出してしまう子供の頃のある出来事のはなし。思い出話なんて、他人から見たら”長文ぐだぐだオチなし”なのは分かっちゃいるけど、近頃よく記憶の底から浮かんでくるので、何か気になるから書いちゃう。
小学校までの通学路の途中に、古い木造の一軒家があった。私が住んでいたのは小さい古い町で、近所づきあいも密だったので、10分足らずの通学路の家々には大体どんな人が住んでるか、子供でも知っていた。でも、その家だけは人が出入りしているのを一度も見たことがなく、住んでるのか住んでないのかもよく分からないくらいひっそりとしていた。
10才くらいだったと思う。幼なじみのSちゃんとキャッキャ騒ぎながら歩いていたのかもしれない。その家の前を通りかかった時、突然、窓がガラッと開き、おばあさんが顔を出して、私たちを呼び止めた。「お菓子があるから、食べていかない?」。はじめて見るおばあさん。Sちゃんも私も戸惑ったけど、そこはノンビリした時代のノンビリした田舎のノンビリした子供なので(笑)、えっじゃあ…みたいな感じになって、お家にあがってしまったんですねー。今じゃ考えられないね(;^ω^)。この家、人がいたんだー、どんな家かなーみたいな興味もあった。
おばあさんの顔やたたずまいも、家の中の様子も、わりと憶えている。おばあさんは目がちょっとくぼんでいて大きくて、ふっくらした唇が優しそうで、痩せていて、白髪交じりのグレーの髪でゆるいパーマがかかっていて、着物を着ていた。私が子供の頃は、祖母もそうだったけど、年配の女性は普段から着物を着ている人がまだ結構いた。通された部屋には仏壇があり、こたつが出してあり、適度に雑然としていて、子供にも一人暮らしだと何となく分かる気配があった。
お茶とお菓子を出されて、何を話したかはおぼえてないけど、おばあさんが優しく私たちにいろいろ話しかけてくれて、私たちの受け答えや会話にうなずき、私たちは、ちょっと居心地の悪さを感じつつもお菓子をいただき、帰らなきゃいけない時間になって、そのお家を後にした。親には言わなかった。言ったら怒られるなーと思ったから。
私は、超お節介な母親の影響で、10才にして立派な”おばちゃん気質”が備わっていたので(笑)、後日、お小遣いでお菓子を買って、ひとりでそのお家を訪ね、お礼を言いにいった。おばあさんは申し訳なさそうに、そんなことしなくていいのよと、お菓子を受け取ってくれた。
で、それっきり。また、ひっそりした家へ戻っていった。中学生ぐらいの頃だったか、町でおばあさんが歩いているのを見たことがあるけど、子供の頃にお家に呼んでもらった者ですと声をかける勇気はなかった…。高校に入ってからは、もうその道はめったに通らなくなり、いつの間にか忘れて、ある日気がついたら、家は取り壊されて駐車場になっていた。
なぜ今になって、この出来事をよく思い出すようになったのか。それは私があのおばあさんに近づいているからだと思う。年齢が近づいているということもあるし、夫と年がひとまわり離れていて子供もいない私は一人暮らしの老人になる可能性も高い。だんだん老いがリアルになり、覚悟もしなきゃいけない年齢になってきて、自分の将来の姿を思い描くとき、浮かんでくるのは、近くに世話をしてくれる家族や話し相手もいる母や義母ではなく、あのおばあさん。なんですねー。
私はおばあさんことを全然知らないし、もしかしたら家族や気の置けない友人もいたかもしれない。でも、ある日、ひとりでテレビを見ながらお茶を飲んでいたら、外から子供の楽しそうな声が聞こえてきて、思わず呼び止めてしまった。寂しかったんじゃないかなー、だれかと話したかったんじゃないかなー、後でお礼に行ったことで申し訳なく思わせちゃったんじゃないかなー…。あのおばあさんに近づくほど、子供の頃はこれっぽっちも想像しなかったおばあさんの気持ちをあれこれ考えてしまい、思い出すたびに懐かしくもあり切なくもあり、後悔もあり、未来の自分を見ているような感覚もあり、なんとも言えない変な気持ちになってしまうのです。
はい、おしまい。(^.^)/~~~
いい話ですよ。最近自分の病気や親の介護とか、コロナの事もあっていろいろ考えますけど。でも季節の移り変わりや小さな幸せに感性磨いて発信しながら日々を積み重ねていくことかな~なんて思ってますね。