マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」(原作;遠藤周作)

今日、映画館のフリーペーパー「TOHO CINEMAS」(3月号)を読んでいたら、マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作「沈黙」を撮影中だという。…ビックリした。「神の不在を扱った『沈黙』は、スコセッシが15年以上も映画化を切望してきた」(本文引用)という。
私は遠藤周作ファンである。「沈黙」、その他小説・エッセイを読んで思うことは、「神の不在」はテーマではないということだ。「神」を奇跡とか、天罰を下すとか、そういう超越的存在ではなくて、人間がどんなふうにして神の存在を感じるのかいうことが、言いたかったのではないかと思う。「沈黙」では、神父は拷問の果てに棄教することで、神の存在、あたたかさをはじめて感じるわけで、決して「不在」ではない。それは遠藤周作が、「沈黙」ではなく、当初は「ひなたの匂い」というタイトルを考えていたことからも伺える。「沈黙」は、「日なたの匂い」ではインパクトが弱いと判断した出版部が付けたタイトルらしい(遠藤周作「沈黙の声」)。
マーティン・スコセッシは、「最後の誘惑」で人間キリストを描いた。彼が「沈黙」をどんなふうに撮るのだろう。興味しんしん、ちょっぴり不安、である。是非、見たい。

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