9月+10月1日の映画鑑賞メモ

法廷ドラマ&ミステリー強化月間
前回の記事、AFIジャンル別ベスト10で、法廷ドラマとミステリーを見ていなかったことがが発覚。ベスト10のなかからいくつか鑑賞。

ジョン・パトリック・ジャンリィ『ダウト あるカトリック学校で』,2008年,アメリカ,wowwow録画

限りなくクロに近いグレーだが、何一つ真実は明らかにされず観客にも疑い(doubt)を抱かせる。元は舞台の脚本。なので、セリフのやりとりシーンが中心で、それだけに演技派俳優メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの対決シーンは見応えあり。純真なシスター役のアダムス・エイミーも良い。

ニック・カサヴェテス『私の中のあなた』,2009年,アメリカ,wowwow視聴

何となく見はじめたのだが(母親役のキャメロン・ディアス嫌いだし)、拾いものだった。家族が死ぬ病になった時、その事実を受け入れなければいけないことが、いちばん辛い。死は誰にでも訪れるもので、受け入れるしかないと頭で理解できても、簡単ではないのが現実である。それが若い命なら、なおさらであろう。家族が、「死」をどう受け入れていくのか。死に対する考え、死生観、家族の愛は、本人、兄弟、母、父、それぞれに違っていて、それぞれに正しく、ぶつかり合う。だから、苦しく、辛いのだ。難病映画は数は多いが、今まで、ここをちゃんと描いた作品は、なかったと思う。軽薄なお涙頂戴難病ドラマのように、家族は、「可哀想」だの、「泣ける」だの、失うことの単純な悲しみだけでは済まないのある。「死」を受け入れるまでの家族の葛藤が、姉への臓器提供を拒否する妹が母を訴えるという裁判を軸に丁寧に描かれ、さらには医療行為によって、人間の「生」「死」をコントロールすることに対する疑問も投げかける。結構、深い。

ロマン・ポランスキー『チャイナ・タウン』,1974年,アメリカ,DVD

ハード・ボイルドミステリー。フィルムノワール傑作。このクールな雰囲気、徹底して主人公の視点で事件を追っていくという手法は、ハワード・ホークス『三つ数えろ』を思い起こさせる。バラバラのピースだった社会的な陰謀、家族の愛憎劇、恋の行方が、終盤で「チャイナタウン」の一点へと向かっていく展開は見事。他のサイトでも指摘されていることだが、as little as possible =「怠け者」。「ほとんど何も出来ない」。主人公は、どんな手を尽くして助けようとしても、助けられなかった。それは「怠け者」とは違うような。ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイは文句なし。スケベジジィ役のジョン・ヒューストンも、まぁいやったらしいこと。ちなみにポランスキー自身もチンピラ役で登場。

シドニー・ルメット『評決』,1982年,アメリカ,DVD

正義追求と、落ちぶれた弁護士の再起が同時進行。主人公の弁護士(ポール・ニューマン)が依頼人の意向を無視して裁判に持ち込んだのは、勝てる証言が得られそうだと思ったからで、正義感からだけではないし、不利と分かれば、みっともなく頭を下げる。権力にひとりで立ち向かうのではなく、立ち向かわざるをえなくなった弁護士である。でも、崖っぷちに立たされて、必死な姿は、スーパーヒーローでもない、ただの弱い人間であり、そこに共感した。細かいところで、腑に落ちないところはいくつかあるんだけど…。

アレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』,1970年,メキシコ,ヒューマントラストシネマ渋谷 (10月1日)

カルト映画の代表作。良い・悪いとか、好き・嫌いとか、そんな評価を拒絶して、凄いとしかいいようのない作品がある。そうした作品のひとつ。この人間の退廃ぶりは、『ソドムの市』と並ぶかも。でたらめ、荒唐無稽さと、宗教哲学が表裏一体になったような物語が、残忍かつ前衛的映像表現で展開されていく。ばかばかしいのか、神聖なのか、1作品のなかで、表現の振り幅がこんなにも大きい作品って、他にない。奇跡のような作品。(人の死体ごろごろ、本物うさぎの死体が軽く100匹はごろごろ…と、エグイ映像が次々出てくるので、オススメしないけど)。
上映時間ギリギリに映画館に駆け込む。すでに座席はなく、通路に置かれた背もたれなしの簡易椅子に案内された。小さい映画館は満員御礼。人の熱気で、熱い熱い。汗が出るし、息苦しいし。でも、みんな食い入るように見ていた。こんな映画鑑賞体験は一生に何度も体験できないだろう。

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