2018年Best7映画~『スリー・ビルボード』、『ウィンターズ・ボーン』

みなさんにも”仕事の締切が近づくとブログ更新したくなるスイッチ”があると思いますが(ありません)、本日628回目のスイッチが入ったshimiです、こんにちはっ!。さて、昨年ほったらかしにしてた記事「2018Best7」の続きだよ。

今回、紹介する2作品はともに舞台はミズーリ州のど田舎。私もこの映画を観てはじめて知ったのだけど、この州の山間部は白人の貧困層地帯。「ヒルビリー」とか「ホワイトトラッシュ」などの蔑称で呼ばれることもある。閉鎖的な地域社会を形成しており、保守的で、女性蔑視や黒人差別も根強い。彼らは警察や公的機関はまったく信頼してないし(というかほぼ敵)、ちょっとした問題でも銃やナイフを持ち出して暴力的に解決しようとする。それが正義らしい。犯罪者や薬物依存者も多いし、働かないし、そんな環境で育つ子供たちは教育もまともに受けられないから、貧困は何代にもわたって連鎖する。
現代のアメリカに、こんなドロドロした地縁や血縁、歪んだコミュニティに縛られる人々がいるのか?!という衝撃が走った2作品。

マーティン・マクドナー『スリー・ビルボード』

2017年,アメリカ・イギリス,TOHOシネマ

ミズーリ州エビング(架空の町)。娘を殺された母親ミルドレッドが、警察を批判する3枚の看板を設置した。この看板をめぐって、ミルドレッド、警察署長ウィロビー、警官ディクソンの人生は思わぬ方向へ…。

脚本が秀逸。圧倒的な人間模様を見せつける映画。
人間は複雑。人が他人に見せる言動からは、その人の真実など何一つ分からない。ミルドレッドやディクソンのような攻撃的な人の心の奥底には、何か「種」がある。蔑視、差別、偏見、怖れ、罪悪感、孤独…。やっかいなことに、保守的で閉鎖的なこの町では、その「種」はますます深く隠されてしまう。一方で、彼らの対極にいる警察署長が、実は彼らの「種」の唯一の理解者だったりする。彼らが周到に押し隠しているものを観客に気が付かせる伏線や演出が巧みで、人物への印象がどんどん変わっていき、いつの間にか嫌悪感が覆されて同情すらしている。
そして人生も一筋縄ではいかない。私たちは 映画も人生も 無意識のうちにいつも都合のいい方へと期待を寄せる。でも、この監督はそんな人間の軽薄な都合の良さを自覚させるかのように、期待を持たせておいて、それをことごとく裏切っていく。観客も登場人物も絶望の淵に立たせて迎えるラストも、当然のように裏切ってくれるんだけど、その裏切りによって希望がサッーと通り過ぎていくような余韻を残す。このラストカットはかなり好き。

ミルドレッド演じたフランシス・マクドーマンドは第90回アカデミー主演女優賞、ディクソン演じたサム・ロックウェルは助演男優賞。私は、作品賞・監督賞・脚本賞も取るんじゃないかと思ってたけど。。。残念。

デブラ・グラニック『ウィンターズ・ボーン』

2010年,アメリカ,DVD

ミズーリ州山間の村に住む17才の少女リー。家を保釈金の担保にした父が行方不明、父を探さなければ家が没収される。リーは病気の母と幼い弟妹との生活を守るため父親探しをはじめる。

サスペンス映画だけど、同時にヒルビリーの過酷な現実もリアルに描いている。
サスペンス的にも、ヒルビリーをリアルに描く上でも、多くを語らない演出が効いていたと思う。あの村にいれば、知っていても沈黙するしかないもの。いったい何が起きたのか、観客も主人公と一緒に事実を探り、想像するしかなく、村の閉塞感・陰鬱さを肌で感じさせられる。
一族ぐるみで悪事に手を染めなければ生活できないから、法律より血縁・地縁の「掟」が優先される。共同体の「掟」は少女を絶望に追い込むけど、一筋の救いもまた共同体のなかにあるところが悲しい。救われたことで、彼女も共同体の一員として、ここで逞しく生きていくしかないことが暗示されるから。少女の孤独な戦いと強さに涙。
リー役のジェニファー・ローレンスがぶっちぎりで良かった。

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